介護施設での身体拘束について

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おはようございます。
いつも、ご覧いただきありがとうございます。

最近、クローズアップ現代で取り扱われていたり、入院先の病院での死亡に関して訴訟があったりと、何かと目にする「身体拘束」ですが、
今日は私見を書いていこうとおもいます。

まず、最初にいきなり結論なんですが、『心』は身体拘束についてはない方が望ましいと思っています。
と言うか、逆に身体拘束万歳!どんどんやれ!って方、いらっしゃるんですかね?
なんだか、取り扱われ方を見てると、やりたくてやってる(拘束を)みたいに感じるんですが・・・

統計を取ったわけでもないので、ただの感覚ですが、やむを得ず安全を守る手段として使ってる場合がほとんどではないでしょうか?
『心』自体は、拘束はない方が望ましいけれど、仕方ない場合はルールにのっとて行うのも必要なことだと思っています。

たとえば、こんな事例、どうされます?

PM8:00 利用者A 自殺企図。夜勤職員が発見する。
夜勤2名体制ではあるが、常時の見守りは困難であるため、帰宅していた相談員・看護師に連絡。
それぞれ、職場に直行。
看護師は傷の処置及び、かかりつけ精神科医に連絡するも、当日の受け入れはできないため、明朝の受診を指示される。
相談員はその旨、施設長に報告。
施設で明朝まで見守ることとするが、万が一の場合に備え、家族に連絡し、身体拘束の許可を願うこととする。
家族は県外在住のため、来所は困難。
電話にて状況説明と、拘束の必要性、拘束内容、拘束時の見守り体制について説明、納得いただいた上、書類は郵送にて
交わすこととする。
その後、本人に説明の上、PM9:00から身体拘束開始。(ベッド臥床後、上肢のみ拘束)
以降、相談員は常時見守り及び、翌朝8:30まで30分おきに上肢の温度、色等確認。本人が覚醒した際には水分補給やバイタルチェック。
様子や数値については当然、記録。

別に安易に拘束したわけではないですよ。
でも、この状況で、優しく声をかけつつ、抱きしめたら希死念慮はなくなりますか?
朝までの間に、万一、見守り職員がウトウトしてしまったら、どうなりますか?
それは、見守りの職員がダメだからですか?
もちろん、朝まで一睡もできませんでしたけど、万が一の場合のリスクが大きすぎて、自信をもって「起きてる」なんて言えないですよ。
それとも、見守りを2名体制で行いますか?
その場合、翌日の勤務はどうなりますか?

よく、身体拘束は必要悪だとか表現されてるのを見かけます。
冗談じゃない。悪ではない。
その場面、場面で必要な選択肢の一つです。

介護保険制度においても、切迫性・非代替性・一時性があるものについては認められています。

だから『心』は身体拘束は原則行うべきではない。けれど、必要な場合もある。

という立場です。
ただし、あくまでもルールにのっとって。

だって、なぜ、ここまで身体拘束が絶対悪のような扱いになって、大騒ぎになっているのか、考えてみましょう。
もちろん、現実を無視して、現場を知らない人が騒いでるという意見もあると思います。
でもね、『心』は思うんですよ。

「安易な身体拘束が行われている場合があるから」じゃないかと。

見たことありませんか?
安易な拘束。

例えば、ナースコールが手の届かない所に置かれている。(どう頑張っても自然にはいかない所)
車椅子の利用者の周囲にソファで囲いがされている。
車椅子に安全帯で縛られたままになっている。

『心』はいろんな所で見てきました。

確かに、夜間、ベッドに横になった後に、ナースコールで手遊びをして一晩に100回以上鳴らす方いましたよ。
訪室しても、むしろ驚かれたりして。

でも、だから手が届かない場所においていいわけではないです。

たとえば、朝までのナースコールの回数と、実際に要件があった回数を記録(正の字程度)して、
上司に提出。
他の方の不眠や、業務に支障が出る場合は、施設として対策すればいいじゃないですか。

場合によっては、家族に状況を説明し、納得してもらった上でナースコールを取り外せば良いと思います。
堂々と。(原則一人ずつに設置なのはもちろんです)
ただし、その場合は、「〇〇分に一度は訪室して、様子確認をします。」というような+αの業務も発生するでしょうが。

現実的に「身体拘束」と定義される行動が、どうしても必要な場面は、あると思います。
人が人の安全を守るってそういうことだと思います。
車椅子の安全帯だって、自動車への乗車時はシートベルトとして認められてますよね?
安全のために。
同じですよ。

だけど、そうでない安易な行いが見られるから、ルールが厳格化して、大騒ぎになるんです。

必要な場面だから行ったけど、書類を整備してない。
ちょっとの間だから、内緒で行った。
どうしようもないから、仕方なく行ったけど、それが常態化してる。

それだと、ルールは厳しくなります。絶対に。

逆に、身体拘束は悪だ。って方。
救急車だって、昔はすぐ来てくれて、すぐどこかの病院に連れていってくれて。
病院でもすぐに治療してくれてましたよね。
でも、それに対して、文句言ったり、訴訟起こしたりしてたら、今はどうですか?

救急車を呼んでも、受け入れ先の病院が決まっていなければ動けないですよね?
病院に到着しても、親族がいなければ治療できないですよね?

そりゃ、病院だって施設だって身を守りますよ。
経営していく必要があるもの。

今、身体拘束について悪だと断じるのはいいですが、行き過ぎると、どうなります?
身体拘束が必要な状況になった方の行き場は大丈夫ですか?
・うちの施設では安全が確保できませんので、退所してください。
・うちでは、受け入れできません。
ってなりませんか?

最近、いろんな方の意見をTVやネット、SNSなどで拝見します。
でも、ちょっと極端すぎやしませんか?

一方は絶対に悪だと言い切り。
もう一方は、悪だという人は、現実をしらない。と言い切り。

そりゃ、極端な意見は面白いし、歯切れよく聞こえます。
そうすれば、見てくれる人は増えるだろうし、視聴率や読者、フォロワーは増えるのかもしれない。

でも、そうやって、隅へ隅へ追いやって、大丈夫ですか?

拘束が必要な場合があるかもしれない。
拘束せずに済むかもしれない。

この2点について話し合うのが必要な議論じゃないんですか?

絶対必要ない!
現実を知らないからだ!って話してても、結論なんて出ないですよ。

必要だと思われる場合には、ルールにのっとて行う。
一時性が必要なんだから、行ってる間に対応策を考える。
で、その対応策でリスクも含め本人や家族が納得できるなら実行する。

それじゃダメですか?

ちなみに、愛知県での医療に対する訴訟。
『心』も注目してみてます。
それによって、今後の医療・福祉分野のありかたが大きく変わっていくと思うので。
金額じゃないですよ。

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